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Archive for 2009年4月28日

盛和塾の中から

今日は部下を泣くまで叱ってしまいました。
細かい所まで理解してもらうまで伝えようとしたら厳しい言葉になったり何度も繰り返しになってしまい説教にもなってしまって反省しています。
事務所に帰って「もっと違う伝え方はなかったのか」悩んでいたのですが、フト脳裏に稲盛和夫先生の盛和塾で学んだ事のある「京セラフィロソフィ」の中の「小善は大悪に似たり」を思い出しました。
こんな感じです。
リーダーは、愛情をもって部下に接していかなければなりません。しかし、その愛情は、いわゆる溺愛であってはならないはずです。
“大善と小善”ということばがあります。
たとえば、かわいいために子どもを甘やかし、そのために成長するに及んで、人生を誤ってしまうということがあります。逆に、子どもを厳しく教育し、しつけていくことによって、素晴らしい人生を歩むということがあります。前者を小善、後者を大善といいます。
職場においても、様々な上司がいます。その中には、部下の意見を聞き、若い人たちがやりやすいようにしてあげる優しい上司もいると思います。しかし中には、非常に厳しい上司もいると思います。
もし、信念もなく、部下にただ迎合している上司ならば、決して若い人たちのためになりません。それは若い人たちにとって楽ですが、その気楽さは彼らをだめにしていくはずです。長い目で見れば、厳しい上司の方が、部下は鍛えられ、はるかに伸びていくはずです。
「小善は、大悪に似たり」と言います。つまり、短絡的に良かれとすることが、本人にとって本当にいいことなのかどうか、リーダーは、部下への真の愛情を見極めなければなりません。
 
これには続きもあります。
「大善は非情に似たり」なのですが・・・
この言葉をうまく表現した逸話があります。
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湖のほとりに住む老人が、嵐で旅立つことが出来なかった渡り鳥を可哀想に思い、えさを与えました。
毎日えさをやっていると他の渡り鳥も集まり、冬をその湖で暮らす渡り鳥が増えてきました。
暖かい地域へ旅立たなくても老人のえさがあるので、生きていけるのです。
ある冬、老人は亡くなりました。
老人からのえさを目的として集まっていた渡り鳥は、全滅しました。
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ここで老人が渡り鳥にえさを与えることを「小善」、この顛末を予測して与えないことを「大善」と言います。
また他の例で言うと、親が子供を甘やかすのは「小善」、厳しく育てるのが「大善」だと思います。
 
これを書きながら再度反省しました。
もう一度キチンと私の想いを伝えてみようと思います。。。。。(∪o∪)
(自分に矢印を向けて・・・)
 
稲盛塾長ありがとうございました。
 
 
 
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